「自分の体験を書けば、それで十分だ」……そう信じていた私の視界が、一冊の本との出会いで一変しました。
今回は、千田琢哉氏の言葉から気づかされた、読書と執筆の本質的な「視点の変え方」についてお話しします。
なぜ本を読んでも、現実が変わらないのか?
その答えは、私が「親指」ばかりを見ていたことにありました。
体験談という「唯一無二」への疑念。私が感じた微妙なズレの正体
読書ブログはいつも本の一節から、自分の体験に置き換えて書いていた。
自分の体験こそが、唯一無二のコンテンツになると信じたからだ。
だが、本を読むに従い、それで、いいのだろうか、と思うようになった。
確かに唯一無二のコンテンツになるかもしれないけれど、狙うのはそこでなく、本から享受した知恵ではないか、微妙に自分のズレた感覚に気づけたと思う。
千田氏の至言。「親指を描きたければ、親指の周りの空間を描け」
直ちに修正しよう。何のために本を読むのか、本に問いかけよう。
何がいいたいのか、
「もし親指を描きたければ、親指を描こうとしてはいけない。親指を描きたければ、親指の周りの空間を描くことだ」(P179)
出典:千田琢哉 著 『いつまでも変われないのは、あなたが自分の「無知」を認めないからだ。』発行所:株式会社学研プラス
とはどういうことなのか、もう少し離れた位置で観察してみよう。
手のひらが見えた。5本の指が見えた。左手の左端が親指だ。
視点の転換。親指ではなく「手のひら」や「手相」まで観察する
だが、親指は見てはいけない。周りの観察だ。手相が見える。
そうか、見る視点を変えてみよう!これが書籍からのメッセージだとおもう。
こやって、問うことで、知恵が見えてくるのか、
親指を見るのでなく、さまざまな角度から親指を観察する。
スマホのタイピングに学ぶ「無意識」の極意。意識の先はどこにある?
直接、親指を見るのでなく、親指の周り関連性や関係性をみることで、動きのもとが見えてくる。
たとえば、親指を使ってスマホのキーボードで文字を打つとしよう。
両手の親指を使って、器用にタイピングしているのがわかると思う。
この時、親指を意識しているだろうか、親指の先の文字で意識は言ってるはずだ。
やってみれば、意識の先がどくにあるか、そう文字を見ていたから、キーボードを打つことができたのが、分かるだろうか、
まとめ
本を読むことも、ブログを書くことも、これと同じだったんだ。
この感覚を!?

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