新しいことを始めようとするとき、私たちが最も恐れているのは「周りからのヒソヒソ話(批判や影口)」かもしれません。
正直に明かすと、かつての私は、安全な場所から他人の挑戦を冷ややかに眺め、あれこれと評論する「言う側」の人間でした。
しかし、自らブログを立ち上げ、批判されるリスクを背負って行動する「される側」に回った今、目の前の景色は一変しました。
千田琢哉氏の『「すぐやる」力で差をつけろ』に込められた教えをヒントに、私が身をもって知った「ヒソヒソ『される側』の圧倒的な楽しさ」と、雑音をエネルギーに変える思考法をお伝えします。
他人のブログを評価していた「評論家」の私が、書く側に回って気づいたこと
千田琢哉氏は、著書の中で「当事者」として生きることの面白さについて、次のように述べています。
『 ヒソヒソ話をされる側になると、「ヒソヒソ話をする側より、ヒソヒソ話をされる側の方が人生は楽しい」というごく当たり前の事実にきづく』P032
出典:千田琢哉 著 『「すぐやる」力で差をつけろ』発行所:株式会社リベラル社
自ら読書ブログを立ち上げ、記事を世に発信し始めたとき、私の周りでも何かしらの「ヒソヒソ話(評価や影口)」が起きているのを感じました。
振り返れば以前の私は、誰かがブログを開設して披露したとき、安全な場所から「ここがよくない」「ここは良い」と、まるで評論家のように好き勝手な改善点を口にしていた「言う側」の人間でした。
しかし、いざ自分がブログを作る側に回ってみると、立場は一変します。
実際にプレイヤーとして書いてみると、自分の課題や改善点にはなかなか自分一人では気づけないものだと痛感させられます。
だからこそ、陰で何かを言われたり指摘を受けたりしたとき、ただ凹むのではなく「自分では見えなかった改善点を教えてくれたのだ」と、素直に感謝できる自分に気づいたのです。
5人中3人に「伝わらない」と言われた過去。文章の飛びを恐れる必要はない理由
会社勤めをしていた頃、私は職場の人たちからよくこう指摘されていました。
「言っていることがよく分からない」 「主語がないから何の話かわからない」 「説明がまわりくどい」
正直なところ、5人中3人くらいからは毎日のように理解されず、もどかしい思いをしていました。
今振り返れば、当時の私は「結論」を後回しにし、ひたすら自分の「理由や思考のプロセス」ばかりを話していたのです。聞いている側にしてみれば、パズルのピースを必死に組み立てながら最後まで聞かなければならず、相当な負担をかけていたのだと思います。
しかし、そう考えると同時に、ある一つの真実に気づきました。
そんな分かりづらい私の言葉を途中で投げ出さず、真意を汲み取って理解してくれた残りの2人は、圧倒的に知性が高かったのだと。
万人に無理に合わせようとして自分の思考を小さくまとめる必要はありません。思考の飛びや自分独自の視点を恐れず発信しても、知性の高い読者は必ずその真意を読み解いてくれるのです。
完成度6割でOK。千田琢哉氏に学ぶ「すぐやる」ためのマインドセット
とはいえ、現在の私は完璧を求めず「完成度6割」の段階でどんどん投稿するようにしています。
だからこそ、投稿された記事は改善点だらけです。
あとから自分の文章を冷静に読み返してみると、あちこちに「文章の飛び」や「思考の飛び」が見受けられ、「こんな書き方で、本当に読者に伝わっているのだろうか……」と不安や心配に襲われることも一度や二度ではありません。
完璧な文章を書こうとして手が止まり、投稿できずに抱え込んでしまうくらいなら、未完成であっても世に出して「ヒソヒソ話(フィードバック)」を受ける側に回る。
6割の出来栄えであっても行動を起こし、走りながら修正していくことこそが、千田氏の教える「すぐやる」ための究極のマインドセットなのです。
まとめ:「される側」に立った人間だけが知っている、人生の圧倒的な楽しさ
かつての私は、安全な観客席から他人のブログに好き勝手な口を出しているだけの「評論家」でした。
しかし今の私は、あちこちに思考が飛び、改善点だらけの未完成な文章を世に晒し続ける「当事者」です。
もしどこかで、「あのブログ、言っていることがよく分からないね」とヒソヒソ噂されているのだとしたら――。
それこそが、私が安全地帯を抜け出し、一人の「表現者」として現実のリングの上で生きている動かぬ証拠です。そしてそれこそが、何物にも代えがたい「最高に楽しいこと」なのです。
安全な場所から他人を評価して過ごす人生か。リスクを取って「ヒソヒソ話される側」になり、自分の人生をドライブさせるか。
あなたが今読んでいるこの読書ブログは、一体どちらの生き方を選んでいるように見えるでしょうか?

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