「どうしても成し遂げたい仕事があるけれど、もうこれ以上、自分にできる手立てがない……」
ビジネスの現場で、そんな極限の状況に立たされたことはないでしょうか。
目標を達成するために、私たちは日々、泥臭く現実的な手段を講じます。しかし、やれることを全てやり尽くしたその先で、ふと「あとはもう、祈るしかない」という境地に達することがあります。
実は、この「行動の果てにある祈り」の本質を、誰もが知る昔話が教えてくれているのをご存じでしょうか。
今回は、川内彩友美さん著の『決定版まんが日本昔ばなし101』に収録されている『木仏長者』というお話をベースに、木仏と金仏の勝敗から学ぶ、ビジネスの現実を1mmでも動かすための「真の神頼みの作法」について紐解きます。
「ただの綺麗事の祈り」では終わらせない、限界突破したビジネスパーソンだけが知る「祈り」の法則。ぜひ、最後までお読みください。
昔話『木仏長者』に見る「木仏金仏」の勝敗を分けたもの
『決定版まんが日本昔ばなし101』が教える信仰の深さ
『決定版まんが日本昔ばなし101』(川内彩友美 著、講談社)の中に掲載されている『木仏長者』という昔話をご存じでしょうか。
金仏を磨いて自慢する長者と、貧しいものの信仰の厚い木仏の持ち主が登場するお話です。ある日、仏様同士で相撲を取ることになり、金仏の長者が負けたら財産を差し出すという勝負を行いました。接戦の末に勝ったのは木仏でした。自慢ばかりで信仰のなかった金仏に対し、木仏には深い信仰心があったことが勝因となり、木仏の持ち主が新たな長者となったのです。
この物語からは「祈りを捧げる者は救われる」という教訓が伝わってきます。
この教訓から、「祈りを捧げるものは救われる」ということです。
【現実の法則】祈るだけでは、現実は「1mm」も変わらない
なぜ「きれい事の祈り」はビジネスに通用しないのか
ただ、祈り捧げるだけでは、現実は1mmも変わりません。
神頼みをしていいのは「あらゆる手を尽くした極限状態」のみ
では、どうするのか。
実際には、あらゆる手を尽くして、もうこれ以上打てる手はない、どうすることもできないという極限状態に達したとき、初めて祈りを捧げるのです。
神頼み、神だけが知る世界というわけですね。
ーー後日談ーー深夜のオフィスで見出した「本当の神頼み」
ーー後日談ーー
深夜、誰もいないオフィスのデスク。蛍光灯の白い光の下、何十枚もの提案書や見積もり、競合分析の資料が机いっぱいに広げられている。仕入れ先との度重なる交渉、顧客への熱意を込めたフォローメール、仕様の再三の調整。やれることは、文字通り全て書き出し、全て実行した。ノートパソコンの画面を見つめる目には疲労が滲み、これ以上キーボードを叩く指は動かない。椅子の背もたれに深く寄りかかり、天井の蛍光灯を見つめながら、静かに両手を組む。口から漏れる、小さく熱い吐息。明日の役員会議の決裁を待つのみとなった画面を前に、心の中でそっと手を合わせる。
まとめ:現実を変える手段をすべて講じた後に、神に祈る
まとめ
現実を変えるなら、現実が変わる手段を講じることです。
もし今、目の前の壁に悩んでいるなら、「いま自分に打てる手」を、ノートにすべて書き出すことから始めてみてください。
そして、そのすべてを実行する。 あらゆる手を尽くします。
そして最後に、静かに神に祈りを捧げます。
ああ、神よ、、、

コメント